神様からのクリスマスプレゼント
これは昨年2020年のクリスマスの回顧録です。
今まで書けなかったのですが、最近になってやっと
次に進むステージに来れたようなそんな感覚がして、
これからの自分の発展、MARUUの発展のためにも忘れず
パワーにできるように、ここに記載させてもらいました。
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2020年12月23日梅田阪急の6日間のイベントが終了。
そして翌日のクリスマスイブ24日の夜から
自分が入院するとは全く思っていませんでした。
この頃は色んなことがあり過ぎて
もう自分の心と体のバランスがおかしいとは
もちろんわかっていました。
ガソリンがない車が必死で走っている。
そんな感覚でした。
こんな状態で本当の笑顔を作る仕事ができるのか、
石を取り扱う仕事をして、
自分がこんな状態で幸せを語れるのか。
ガス欠のまま、もう走ることができない。
自分で限界だとわかっていました。
なので出来る限り自分にガソリンを足すけど
家に帰るとダダ漏れでガソリンが漏れていく。
どうやってその状況から抜け出せるのかさえ
わからなくなっていました。
とりあえずオーダー品やその他諸々を
ハルカスへ届けなければいけない。
24日の夕方に天王寺には着いたものの
店頭まで届ける気力もない。
店頭に笑顔で行ける余力も全くない。
天王寺駅近くまでスタッフに諸々取りにきてもらい
説明をすませて、少し休ませてほしいと伝えながら
もう涙がポロポロと落ちる。
スタッフの前で泣いたこともないのに、
(こりゃ重症やな~)と自分でわかっているものの
自分でどうすれば良いかもわからず
とりあえす家路に帰らなければ。
もうすぐ大切な娘のセンター試験があって
なんとか踏ん張ってサポートしなければ。
二人の子供に用意したクリスマスプレゼントを
枕元に置きに帰らないといけない。
二人とも高校生でも未だにプレゼントを
楽しみに待っている。
頭ではわかっているけど
もう心がどんどん圧迫されて
電車に乗っても涙が止まらず
どんどん呼吸がおかしくなっていく。
心臓のバクバクという音が
しっかりとした音で聞こえるくらい
激しくなっていく。
あかん、どないしよ。
一歩、たった一歩前に歩くのが辛すぎて
なんとか少しずつ進んでいたけど
途中でうずくまり、もうエンジンが停止してしまいました。
人間は本当に精神がダメになると
こうも何もかもおかしくなるのか。
周りのひとたちにも迷惑をかけたらあかん。
そう思っているのに、もうどうしようも動かない。
家に帰らなあかん。
うずくまって動けなくなってから
周りにいた人たちが助けてくれました。
コロナやのに迷惑かけたくないのに
みんな、ごめんなさい。
ほとんど話すこともままならず
そして行き着いた先は
精神科の救急病院でした。
点滴を打ってもらい24日の夜に
そのまま入院することになりました。
助けてほしい。
心がそう言っているのを
叫んでいるのを自分でもわかってました。
パニックになっていきそうなのを
自分でもわかってました。
でもどう対応すればいいかわからなかった。
だから入院となったとき、
とりあえずそれしか方法ないよな。と。
辿りついた先は
精神病棟のある病院でした。
安定剤みたいな薬を打って
とりあえず急遽入院することになり
隔離病棟に入りました。
出産した時くらいしか
病院に入院したことがなかったので、
実質の初めての入院です。
精神病棟なので、携帯の充電器から
化粧品、ハルカスのネームバッジ、
なぜか煎餅もカバンに入っていたあらゆるものが
とりあえず一旦、病院で没収される。
もう頭がぼーっとしたまま
朝になってました。
家族もみんな心配してましたが
コロナで面会も無理なのと
そもそも来てほしくなかったので
入院した最初の2日間は
ただゆっくりしました。
2日目に病室を精神病棟の隔離から
普通の病棟に移り
個室でゆったりしてました。
あ~、クリスマスプレゼント、子供達に
初めて置いてあげることができひんかったな。
これから先どうなるんやろ。
25日のクリスマスにそんなことを思いながら
病院での生活を整えるために、
病院内で着る服など最低限のものは
レンタルできたけど、足りないものは
1階にある売店に行く許可をもらって、
歯ブラシ、コップ、水、洗顔、
化粧水、雑誌などを買い出し。
クリスマスにまさか
病院に入院するとは。
そんなことを思いながら
買ってきたコップをまずは洗おうと
部屋の洗面所で真っ白のプラスチックの
コップを洗いだした時、
原色の虹がコップの中に
浮かびあがってきました。
その虹がどこから来ているかとか
考えず、すぐに
「この虹を飲みたい」
そう思って
買っていた水を注いで
ポロポロ落ちる涙と一緒に
虹入りの水を飲みました。
その虹はどこから来たのか。
買い出しから病室に戻った時にカーテンを全開しました。
病室は海が地平線まで綺麗に
見えるところでした。
そしてちょうど綺麗なまん丸のオレンジに輝く
夕日が照らされてました。
その夕日が鏡のエッジに反射して
所々、原色の虹が部屋に広がってました。
「あ~、この虹は神様からのプレゼントや」
そう思って嬉しくて、次の日も
そのまた次の日も、その虹が見たくて
カーテンを開けて夕陽を待ちましたが、
夕日は雲に隠れたりして、虹はでてきてくれませんでした。
そして初めての入院生活は2日まではゆったりとして
のんびりとできて良かったです。
しかし、3日目から苦痛に変わっていきました。
病院食で便秘になり
美味しいわけではない。
もう2日間ゆっくり寝ると
それ以上寝るのが苦痛になり、
寝すぎで頭痛がする。
化粧ができるわけでもなく
アクセサリーをつけれる訳でもなく、
ノーメークの麻呂の眉毛のすっぴんを
鏡でみながら、髪もぼさぼさ、
服も病院服のまま着替える訳でもない。
その病院に入院している人達は
7割が女性と聞きました。
見渡すと、みんな覇気はなく
どこを目標に退院できるのか。
素人ながらに、こんな所にいると
精神がもっと病んでいくんやないか。
薬でこれが治るとは
思えませんでした。
そして3日目からは
もう退院したい。
ここから抜け出したい。
ここにおったらあかん。
そう思って看護師さんに相談すると
先生の診察次第です。とのこと。
先生の診察では、
退院は年越してからの2021年に入ってしようと
言われたのですが、
仕事もあるし、あらゆることを言って
退院したい。ただその希望を言いました。
それでもすぐに許可がおりず
やっと先生の許可がおりました。
心配してくれいるのはわかっている。
でも出たい。
でも先生の許可はでても
次は病院の上司の許可がまだおりない。
退院できひんのかと、ちょっと怖かったです(笑)
限界の私を救ってくれた病院なので
もちろん感謝はしてます。
精神的なことで素人の私が
わからんこともいっぱいあるんやと思います。
それでもやっぱり私は
こんな精神的に病んでしまう前に
食い止めなあかん。
病院は最終手段かもしれないけど
やっぱり来ないにこしたことはない。
食べる楽しみ。
美を楽しむ。
小さなことで笑える。
病院で体験した
改めて感じた普通の幸せの深み。
それから5日目の夕方に退院できることになりました。
やっと病院から出れる。
5日目の夕方、退院の準備をしていると
あの「虹」がまた部屋に広がりました。
カーテンを全開した窓からは
やっぱり曇りひとつない空に
太陽が輝き、鏡に反射した虹が
サンキャッチャーのように虹を広げてくれました。
あ~、神様も私の退院、喜んでくれてるんや。
それと同時に私のやるべきことが
新たに見つかりました。
今までの自分の闇のような辛かった体験を
光りに代えること。
ひとりでも笑顔にすること。
改めてMARUUのやっていこうと
していたことの延長を再認識して
さてさて、どう進むか。
退院後はきっぱりと自分の気持ちが
落ち着ける環境に整えていっていこうと。
なぜ私がここまで追い込まれてしまったか
それはかなり個人的なこともあり
このブログではお伝えできませんが、
限界の時は逃げないといけない。
ここ最近ようやくこの回顧録を
書ける元気が戻ってきました。
あとは目の前に広がっている
自分のビジョンを具現化してくだけです。
自分を信じて前に進んでいきます。