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オーストラリアへ行ったきっかけ そしてオパールとの出会い

今回は私がオーストラリアに行ったきっかけと、オパールに出会ったきっかけについてお話しです。

よく人生では点と点との繋がりだったと言われるように、苦しいことも素敵な思い出も、私自身何一つ、人生に無駄な出来事はなく、すべて繋がりがあったんだと実感します。

読んで頂いている方々にも、きっと「点」という意味の、人生の通過点があると同時に、どんな意味があったのか。

それぞれの今を意識して過ごしてみると、また何気ない日常の中に、たくさんの気づきがあるかも知れません。

石との出会い

小学生の頃、綺麗な石が好きで、おばあちゃんが石の詰め合わせや本を買ってきてくれたりしていた。

大人になり、オーストラリアでオパールに出会うまで、その記憶はずっと封印されていたままだった。

そのあと自分がオーストラリアの鉱山までオパールを買い付ける人生を歩むとは思いもせず。

オーストラリア行きを決めた理由

なんとなく昔から海外に興味があり、大人になって日本の社会が閉塞的に感じて、より海外に出てみたい、そう思っていた頃、ジェットスターの関空⇔ブリスベン行きの往復3万円のテレビCMを見て、東京に行ける感覚でオーストラリアに行ける!
そんな単純な発想で、3歳と5歳の子供を連れて、オーストラリア行きを決意。

(結局、あとになって税金+燃油サーチャージを含むと、航空券は6万ちょっとくらいだった><)

でもあのCMがなければオーストラリアに行ってなかったと思う。

とりあえず、オーストラリア行きの片道チケットと、1週間だけホテルを予約し、荷物はブリスベンに着く船便で郵送し、バタバタと身辺整理して1か月後にオーストラリアへ。

なんて無謀な計画。と自分でも気づかないまま、友達もなし、旅行ですら行ったことがないオーストラリアへ出発。

子供の幼稚園、学校、住むところも決まらないまま、現地到着。

オーストラリアでの不動産屋巡り

到着した次の日から早速賃貸物件探し。

この頃は英語もろくに話せず、中学生の時に英会話教室に通っていたというだけで、なんとかなるだろう~くらいの、と~っても適当な考えで不動産屋さんに入ったものの、何を言ってるかもちんぷんかんぷん。

1週間なんてあっという間に過ぎてしまうのに、このままホテル暮らしでは、お金が湯水のようになくなっていく。

なんとかこの1週間で住むとこを探さないと。

古びれた扉と殺風景なガランとした不動産屋。
デスクにはほっそりした30代くらいの男性と、中年の女性。

部屋を探している。と、短文で話すと不動産屋の受付の男の人は、こちらをチラリとも見向きもせず、デスクを見ながら、何かぼそぼそとペラペラと私に話している。

中年の女性はオフィスの奥へ入っていった。

不安を抱えるまま、なんとか説明して何度も聞き替えてして、オーストラリアで賃貸物件を借りるときは、どうやらポイントを満たさないといけないとわかった。

そのポイントが100ポイント達さないといけないらしく、ポイントを満たすためには、以前に住んでいた大家さんからのリファレンスのレターが重要とのこと。

つまり、貸しても大丈夫な人かどうか、家賃を滞納したことがないか、物件を綺麗に使ったか、などのレターが必要。

オーストラリアに来るのも住むのも初めてだし、知人もいないし、リファレンスをゲットすることはできない。

その後は何を言ってるのかさっぱりわからず、でもとりあえずは、借りるのは無理っぽい雰囲気。

近くのショッピングセンターでとりあえず休憩して、また次の不動産屋さんへ。

住むところが決まらないまま、不動産屋巡りで3日過ぎ、新たに入った不動産屋さんで半泣きになりながら、I NEED HOME! もう先がない。

気迫だけでそう伝えるしかなかった。

事前に調べもせず、ただ乗り込んだ自分が馬鹿で、なんて無謀なことをしているのか。

3歳の子供は抱っこをせがみ、5歳の子供でさえも、「不安やな」と一言。

幼稚園をやめたくないと泣きじゃくり、私の一存で決めたからには、何とか子供にも安心できる住める場所を探さないと。

救われた笑顔

どうしようもなく追い込まれた時、奥から天使の笑顔のような20代の若い女の人が現れて、Don’t worry. と肩をなでながら話しかけてくれた。

あの時、話しかけてくれた事ですら、奇跡のように感じて、表現できないほどの大きな安堵感に包まれた暖かさは、今でも忘れられない。

そのあと、その女性の助けをかりて16件の賃貸物件を申し込み。
16件中、幸い1件だけ申し込みが通り、100ポイントに満たないところはクレジットカードを2枚提出して、なんとかぎりぎりそれでオッケーをもらえた。

それ以外の15件は通らず、1件通っただけでも無謀な計画の中ではラッキーな出来事だった。

そこからオーストラリアでの生活が何とかスタート。

紆余曲折あり、子供たちの幼稚園、学校も決まり、勝手の違うスーパーの仕組み、銀行など、カタコトの英語で住みながらちょっとずつ慣れていった。

ちなみにオーストラリアのクイーンズランド州はprepと言って、年長さんからが小学校に入るので、次に6歳になる子供は、幼稚園ではないという事も現地で知ることに。

オーストラリアの物価は高く、乳製品や食料品は日本に比べると安いが、紙製品などはとっても高く、生活費の足しにするために子供の不要になったものを売ろうと思い、ネットであれこれと下調べ。

その時、広告か何かの綺麗な石のページが現れて、何となく懐かしい感触を覚えた。

石に興味なんてない。そう思っていたのが、なぜか手元で見てみたい。

そう直感で思った。

そしてこのネットで購入したのが、自分で初めて買ったオーストラリア産のオパールだった。

その石は決して高いものではなく、クラック(ひび)もバキバキと入っていたけど、そのクラックの間から、色んな色彩がキラキラと光り、まるで、壊れた心でも輝く術があるんだよ。と、大げさではなく、本当にそう語ってくれたような魔法の光のような石。

ただただじっと見つめてどれくらいたっただろう。

遠い記憶の蘇り

その時、ふと、これ?そういえば、かなり前にも見たようななぜか懐かしい不思議な綺麗な石。
この感覚は何なんだろう、と。

そういえば小さい頃、綺麗な石が好きで、貝殻や石ころ探しによく海辺や近所の山に連れていってもらい、それを知ったおばあちゃんが綺麗な色の入ったカラフルな石の詰め合わせとか、本を買って来てくれたんだ。

忘れ去られた記憶が蘇ってきた瞬間だった。

そのあと、オーストラリアに住んでいる事をきっかけに、オパールの原石を探す手伝いをオファーされた。

今思えば、このオパールの石に呼ばれてオーストラリアに行ったんじゃないかなと思う。

アメリカでもカナダでもニュージーランドでも正直、英語圏ならどこでも良かったのに。

運命と引き寄せ

オーストラリアのブリスベン。

今は関空⇔ブリスベンは廃便になっているが、オーストラリアの鉱山まで行くには、ブリスベンかゴールドコーストから奥地のアウトバックへ入っていく。

当時は繋がっていたかとか、そんなことより目の前の起きている事をこなしていくのに、精一杯だった。

鉱山探しは簡単ではなかった。

誰でもすぐに行けるようなところは、原石を売ってくれなかったり、単純に良い石がなかったり。

それでも車を走らせ、あらゆるところを巡り、オパールの石探しの日々が続いた。

軽く日本を1周したほど、車を走らせた。

鉱山までの道のりは、野生のカンガルーがたっくさんいる。

ウサギやアルマジロやエミューも。

万が一、轢いてしまっては、動物ももちろん、車も事故で大変なことになるし、もちろん自分の身も。

安全を最優先に、地平線が永遠に続くようなまっすぐな一本道を、安全かつスピーディーに移動しながら、夜はそれこそ、天然の天の川を見ながら、車の中で寝たりもした。

見たことがないような空や景色は、道中でも深く心に刻まれる景色。

オパールから私の人生が再スタートしたのかもしれない。

不思議な石。人生の不思議。説明できない、偶然と奇跡。

日本でもっとこの綺麗なオパールを知ってもらおう。

私に何ができるのか。

自分自身が疲れ切って、日本から脱出したかったように、日本の女性にもっと笑顔になってほしい。

日本に帰ってきて、よりそれを深く実感している。

オーストラリアは、移民の国なので英語が話せなくても堂々としている人たちも多い。

それに家族の時間を最優先にする文化、仕事が定時に終わってから、自分の時間を大切に過ごすなど。

日本とはかなり違う生活文化を実感した。

もっとみんな自信をもって、自分を認めてあげて、日本式で思う当たり前が、当たり前でなかったりすること。

今まで私を助けてくれたみんなに恩返しをするべく、自分にできる事はなにか。

本当に心からみんなの笑顔がでるような、人生って楽しいんだと実感してもらえるようなお手伝いができれば。

maruuの目標、「女性の笑顔が増える暮らし」

それが運命なのか引き寄せだったのかはどうでも良くて、気づいからただそうしたい。

それを本気で取り組むことがあなたのミッションよ。と、オパールが教えてくれているのかもしれない。

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